大雁塔

 大雁塔は唐代の有名な仏塔であり、陝西省西安市の南の郊外にある「慈恩寺」の境内にある。有名な曲江風景区に属し、西安市のシンボル的な建物だと言われ、中国 の重要文化保護財であり、国家級の4A級の名勝地である。

 大雁塔は全称が「慈恩寺大雁塔」で、また「慈恩寺塔」とも呼ばれる。唐永徽三年(652年)に建てられたものである。慈恩寺は貞観22年(648年)に唐の太子李治が亡 母文徳皇后の慈恩を報いるために建立したお寺なので、「慈恩寺」という名前を付けられた。

 大雁塔は楼閣式の煉瓦塔であり、「磨磚対縫」という建築技術を採用し、煉瓦に角柱の幾何図形を表し、壁の幅がはっきり分けていて、中国特有の伝統的な建築風格を 持っている。最初に建造されたのは5層しかなかった、その後朽ちたので、10層に再建した。武后長安年間(701年―704年)に改築された。現在大雁塔は四角形の角錐の形を表 し、表面が煉瓦で中身が土、合計7層がある。塔は土台を入れて高さは64メートルで、丈夫でありながら、気勢も雄大である。塔の南門の東西側には唐太宗李世民著『大唐三蔵 聖教序』と唐高宗李治著『大唐三蔵聖教序記』の二つの碑がある。唐代で有名な書家「褚遂良」が書いたもので、字体が美しく清らかで、唐代の有名な碑である。西側の石門に 唐代の図案と仏像などの浮き彫りがあり、画面は構成が厳密で、線が流暢で、唐代の名画家「閻立本」と「尉遅乙僧」の作品だと言われ、中国の古代建築を研究するための大切 な資料である。

 唐代の名僧――玄奘は嘗てここで事務を管理し、仏経の訳場になり、法相宗を創立した。彼がインドから持ち帰った仏像、舎利とサンスクリット語の経典が塔内に置かれて いるため、大慈恩寺は中国の仏教歴史では非常に際立っている地位に立ち、ずっと国内外の重視を受けている。

 唐代では大雁塔はすでに有名地であり、多くの文人の題辞が残っている。明と清の時代だけでも題辞のある碑が200余りがあり、1961年に国務院は公布した全国の重要 文化保護財の第一陣に入った。

 新築した大規模の唐代の模造建築――公開した玄奘三蔵院では玄奘法師と関連する文化財である典籍を保存している。玄奘記念館に置いてある玄奘の頭蓋骨の仏 舎利の迎えは仏道の盛大な行事となり、慈恩寺の大雁塔が国内外でいっそう有名になった。