乾 陵
乾陵は中国歴史上で唯一の女帝武則天と唐の三代目の皇帝高宗の合葬墓である。世界唯一の夫婦とともども皇帝の陵墓である。乾県の県城から北方6キロメートル
の梁山に位置していて、西安市から約80キロメートルである。全国重点文物保護単位、国家級4A観光地である。
乾陵は唐代の帝王「因山為陵」という埋葬制度の手本であり、684年に修築され、規模が大きく、迫力が雄壮である。梁山には3つの峰がある。北の峰が海抜1047.9 メートルと一番高く、南にある二つの峰はそれより低く、東西に対峙するその中央に「司馬道」がある。この二つの峰は「乳峰」と呼ばれる。陵墓にはもともと二つの城壁、四つ の城門があり、内城の総面積は240万㎡。南は朱雀門、北は玄武門、東は青竜門、西は白虎門。乾陵の頭道門から石段の道を歩き、合計537段の石段、81.68 メートルの高低差がある。石段の先には、唐高宗陵墓碑まで続く参道がある。これが「司馬道」だ。朱雀門外の南西に碑が二つある。左のほうは「述聖紀碑」、高さ6.3 メートル、合計7節、「七節碑」とも言われ、右のほうは「無字碑」、「述聖紀碑」と同じ高さ。乾陵の付近には永泰公主、章懐太子、懿徳太子など皇族の陪塚も17個ある。
1966年から1971年、考古学者によって数度にわたって調査が行なわれ、墓道から墓室までは631m、幅3.9m、39層になっていて、すべて石版で仕切られている。各 階の石版は鉄栓でとめ、そこへ鉄を流し込んで固定されている。この合葬墓は盗掘されたことがない。
文物観光の資源を保護・開発するために、前後して永泰公主李仙[艸/惠]、章懐太子李賢、懿徳太子李重潤、中書令薛元超、右衛将軍李謹行、五つの乾陵 陪葬墓発掘し、ホテル、レストランと商店などサービス施設を建て、唐の文化を特色としての乾陵観光地になった。現在、乾陵陵区、懿徳太子墓、永泰公主墓と章懐太 子墓は外国人に開放していて、中外観光客の観光・遊覧に供する。
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