西安・陝西情報 民間風俗

起源

皮影戯は中国で生まれた芝居の一つですが、その起源ははっきりしておらず、漢代、唐五代、宋代などの説があり、梁志剛(2007)は、地域的に見ても関中(陝西)の影響が強いことが指摘しています。また、魏力群(2005)は歴史上の最初の文献記載が北宋のものであるため、皮影戯は北宋の汴[シ卞]京(開封)で形成され発展したと説明します。以下、起源についてやや詳しく書かれている沈珉(2004)などを参考にして、今後文献資料を紹介していきます。

伝承

漢妃抱娃窓前耍[而女],巧剪桐叶照窓紗,文帝治国安天下,礼楽伝入百姓家【訳文】漢文帝の宮廷に美しく賢い女官がいたが、ある日、彼女が幼い王子を抱いて庭で遊んでいる時に王子が突然むずがって泣き始めた。日光がアオギリの葉を窓に照らした時、ひとしきりそよ風が吹き、すべてのアオギリの葉がはらはらと揺れた。王子がこの光景に引きこまれ、しばらく泣くことをやめた。女官はこの様子を見ると急いで何枚かの葉をとり窓の前で掲げ操ると、王子の涙に濡れた目が葉の動きに従って動いた。賢い女官は、何枚かの葉をとり巧みに人の形に切り、窓に日で照らし影絵を演じてみせると、王子が泣きやみ喜んだ。

捜神記

太平広記・幻術二

東京夢華録

巻五 京瓦伎芸 董十五、趙七、曹保義、朱婆儿、没困駝、風僧哥、俎六弄,影戯。【訳文】(入谷・梅原(1996)175頁8行~9行から引用):董十五、趙七、曹保義、朱婆儿、没困駝、風僧哥、俎六の「影戯」。

巻六 諸門皆有官中楽棚.万街千巷.尽皆繁盛浩閙.毎一坊巷口.无楽棚去処.多設小影戯棚子.以防本坊游人小儿相失.以引聚之.【訳文】(入谷・梅原(1996)222頁5行~8行から引用):宮廷の諸門にはみな官設の音楽の舞台がある。なべての道々町々は、どこもかしこも賑やかな雑踏である。どこの町かどにせよ、音楽の舞台の設けのないところには、たいてい小さな影絵芝居の舞台が作られ、その町内の遊覧者や子供が迷子になるのを防ぐとともに、それらを招き集めている。