彬県大仏寺は彬県から10キロ離れた西蘭道路沿いにある清涼山に位置します。全国の重要文化保護財で、国家3A級観光地としても有名です。
大仏寺は元の名前が慶寿寺で、自らが指揮した彬州浅水原大戦で戦死した将兵の亡魂を済度するために、
唐太宗李世民が唐貞観2年(628年)に建てたものです。大仏寺の石窟は岩石の形に従って、涇水と隣接しています。寺院に洞窟が合計130個あり、400メートルの長さがある立体岩の上で延々と続いています。その中では仏像を安置する石室446所、仏像が1,980個あります。最も一見の価値があるのは主洞窟の大仏像で、陝西省で一番大きい仏像です。高さ24メートルで、仏身の輪郭が鮮明優美で、自然でふくよかな体つきで、唐代の風格を持ち、中国盛唐の洞窟芸術の奇観と称えられています。
大仏寺には次の伝説があります。西暦618年の秋、帝位についたばかりの西秦覇王薛挙が、天下を二分する勢力で勢いのある唐王朝を潰すために、挙国の軍事力で唐王朝に迫りました。秦王・李世民は大軍を率いて反乱を平定せよという王命を受けますが、戦争が始まったばかりの頃、李世民は突然発病して、都に戻って治療を受けなければなりませんでした。留守の主将は敵を見くびって開戦したため、惨敗してしまいました。病から回復した李世民は前線に戻り、薛仁杲と現在の咸陽長武浅水原で対峙して戦い、薛仁杲を打ち負かしました。戦後、死者の亡魂を済度するために、李世民は尉遅敬徳を派遣し寺院を建立して、「雲為戦没将兵荐福」と大仏寺は「浅水原戦役」の証左になりました。
彬県大仏寺の洞窟は観光地として有名で、国内外の多くの観光客が来訪しています。毎年の旧暦の三月初八は大仏寺の伝統の縁日で、数万人の観光客、参拝者が訪れ、一層にぎやかになります。
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