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咸陽の有名人

班固(はんこ)(32—92)

東漢の歴史家。字は孟堅。咸陽の人。父の班彪の遺志を引き継ぎ、前漢史を多年にわたり加筆修正し、百の漢書を完成させた人。漢書は中国第一部の紀伝体断代史である。著作には「班蘭台集」などある。


班超(はんちょう)(32—102)

東漢の著名な軍事家、外交家。字は仲升。咸陽の人。幼いごろ官府で書物を書き写したことがある。その後筆を投げ出し従軍し、定遠侯に封ぜられた。かつて使節・甘英を条支の西海(現在のペルシャ湾)に派遣した。


班昭(はんしょう)(49—約120)

東漢の歴史家。女、字は恵姫。咸陽の人。馬続と命を受けて、それぞれ兄の班固が書いた「漢書」の表と天文志の稿を書き継いで完成させた。著作には「東征賦」、「女誡」などある。曹世叔に嫁いだため、人々は敬して曹大家と称した。


賈逵(かき)(30—101)

東漢の天文学家、経学家。現咸陽市渭城区の人。天文学、「四分歴」の修訂に参与したことがある。測量した黄道黄経の差は精度が極めて高く、「節気昏旦中星」、「昼夜刻漏」と「晷影長度」などの新しい内容を増やし、後世の歴法の依るところとなった。


馬融(ばゆう)(79—166)

東漢の経学家。字は季長。現咸陽興平の人。経籍に精通する。「高堂に坐し、絳い紗帳を施し、前に生徒に授け、後に女楽を列す」、“絳帳授書”と称された。「孝経」、「論語」などの注釈を著し、「三伝異同説」を書いた。


趙岐(ちょうき)(108—201)

東漢の学者。初名を嘉といい、字は台卿。現咸陽市渭城区人。経学に精通し、多芸多才、描いた人物は「読画品録」(唐李嗣其著)の上一品に列している。「三輔決録」は珍しい関中地方の歴史資料を保存した。また、「孟子章句」は「十三経注疏」に収められている。


馬鈞(ばきん)

生年月日未詳。三国時代の科学家、「天下名巧」と褒められている。字は徳衡。現咸陽興平の人。三国の魏の博士に任命され、織綾機を改良した。その後、命を受けて指南車と「水転百戯」を作った。制作した翻車は、水を注ぐとぐるぐる回り、出たり入ったりするもので、近代のポンプが発明される前の世界で最も先進的な水を汲み出す道具である。また諸葛亮が作った連弩と発石車などの兵器を改良し、「巧思絶世」と称された。


馬超(ばちょう)(176—222)

三国時代の名将。字は孟起。原籍は咸陽興平。建安16年(211)曹操を攻めたが敗れ、凉州に帰った。その後、劉備に帰順した。蜀漢が建立してから、驃騎将軍に任命されて、領土を封じられた。


蘇蕙(そけい)

生年月日未詳。350年ごろ在世。東晋の女流詩人。字は若蘭。現咸陽武功の人。詩文に長じる。夫の竇涛のために詩文「回文璇玑図詩」を刺繍に織り出した。唐の武則天は彼女に前書きし、「五彩相宣しく、縦横八寸にして、題詩が200余首、計800余言、縦横反復し、皆章句となる」と述べた。


李靖(りせい)(571~649)

唐初の軍事家。字は薬師。現咸陽三原の人。隋馬邑郡太守佐官に任命された。著作には「李衛公問対」3卷など、中国伝統軍事学経典の一つである。


楊良瑶(ようりょうよう)(736—806)

唐代の外交官。現咸陽涇陽人。使節として黒衣大食(西アジア一帯)へ行き、我国初の地中海沿岸に到着した外交使節になった。


王重陽(おうちょうよう)(1112—1170)

道教全真派の創始人。始名は中孚、字は知明、号は重陽子。現咸陽市秦都区の人。山東寧海(今牟平)で園を建て布教した。馬钰など7人の弟子を度化し、「全真七子」と称された。著作には「重陽全真集」など。


王恕(おうじょ)(1416—1508)

明代の官吏。字は宗貫。現咸陽三原の人。“三原学派”の創始人。著作には「石渠意見」、15卷の「王端毅公奏議」、124卷の「歴代名臣諫議録」がある。


馬理(ばり)(1474—1556)

明代の官吏。字は伯循、号は渓田。現咸陽三原の人。理詰めで大いに論争することを好み、「真考功」と称された。「陝西通志」を書くことを依頼された。


康海(こうかい)(1475—1540)

明代の文学家、戯劇家。字は徳涵、現咸陽武功の人。詩文、戯曲に長じる。明の「前七子」の1人である。著作には「康対山先生全集」と雑劇「中山狼」、「王蘭卿」など。「中山狼」は中国十大喜劇の一つに列された。


胡登洲(ことうしゅう)(1522—1597)

中国イスラム寺院経堂の教育創始人。字は明善。現咸陽市渭城区の人。中国イスラム寺院経堂の教育を創始した。伊斯蘭教陝西学派を創立し、中国ムスリムに「胡太師祖」として敬われた。


王徴(おうちょう)(1571—1644)

明代の科学家。字は良甫、また葵心。現咸陽涇陽の人。訳著には「遠西奇器図説」、「西儒耳目資」、「聖経直解」など。西方科学の伝播、文化交流の促進に貢献し、「南徐(光啓)北王」と褒められた。


劉古愚(りゅうこぐ)(1843—1903)

教育家。名は光、字は煥堂、号は古愚。現咸陽市秦都区の人。康梁変法の支持者・擁護者、「南康(有為)北劉(古愚)」と言い方がある。著作には「五経臆解」など。


呉宓(ごふく)(1894—1978)

著名な西洋文学家。現咸陽涇陽の人。字は雨僧、雨生、筆名は余生。アメリカへ留学、ハーバード大学学士、修士学位を取得した。著作には『呉宓詩文集』など。


于右任(うゆうにん)(1879—1964)

近代書法史上の書法家、詩人。草書に長じる。「標凖草書」を初めて作り、 「当代草聖」と褒められている。原名は伯循、字は誘人、 「右衽」 と発音が同じ「右任」を名にした。著作には詩集「半哭半笑楼詩草」など。


李敷仁(りふじん)(1899—1958)

中国の新聞関係者。現咸陽市渭城区の人。原名は李文会、小名は蒲咸、字は敷仁。「民衆導報」を創刊し、「民衆喉舌」「老百姓的貼心人」と呼ばれた。著作には「李敷仁詩文選」など。


李若冰(りじゃくひょう)(1926—2005)

中国当代著名な作家。西部文学の開拓者、“石油文学”基礎を固める人の1人。現陝西涇陽の人。著作には散文集「在勘探的道路上」など。


雷抒雁(れいじょえん)(1942—)

当代詩人、作家。現陝西涇陽の人。「人民の詩人」と呼ばれた。著作には詩集「小草在歌唱」など。


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